わぁ~っ! スイカズラを見つけた子ども達の歓声でした
幼いころは宮崎の南郷村と言う僻地に住んでいました
当然のごとく村には雑貨屋が一軒しかなく、あがった小学校では1学年1クラスでした
今ではさらに過疎化が進み複式学校になっているようです
当時から運動会は中学校と合同開催でしたし運動会で村の青年団のお兄ちゃんお姉ちゃんがお揃いの洋服を着てフォークダンスなんか踊っていたんですよぉ~(昭和30年代の初めです)
スイカズラの花を見つけては少ない蜜を吸っていたのは小学校にあがる前からですよ
春先のツバキの蜜から始まってレンゲにとまるミツバチの蜜を食べたりしていました
宮崎地方に住んでいる方・・サドと言う言葉を知ってはりますか・・今でも使うのでしょうか
イタドリの事です
もしかして使っていたのは我が家だけかもしれませんが(母は与那国島出身の人でした)
イタドリは色々な料理に使っていましたので今でも里山で若いイタドリの新芽を見つけると思わず手折って皮を剥いて酸っぱい味を楽しんでいます
何しろ、小遣いなどお祭り、お正月以外に貰ったこともなく貰っても玩具は買っても駄菓子を買うなんてもったいなくて出来なかったのですよ(えらい年寄りな話です・・・笑)
子らの間に色々なデマが飛び交っていましたが、エゴの木がニッキの材料になると言う話がまことしやかにささやかれていました
ニッキ水が大流行した夏の事です・・・
今頃の時期、川の淵で泳いでいると何処からともなくエゴの木の花が流れて来ます、元をたどって木を見つけ若い枝をそっと齧ってみても苦いだけのものでした、なぁ~んだと、ガッカリしたのも想い出です(何でも食べるいやしい子でしたな・・・笑)。